神仏習合 〜七福神〜
七福神
日本は神仏習合とよく言われますが、密教系の寺院の仏様には如来・菩薩・明王・天とそれぞれの部門の仏像が奉安されています。このうちの天部の仏がすなわち「神」さまのことです。神様は「曼荼羅図」の最外縁部におられて、ある意味で最も我々に身近な存在です。森羅万象あらゆるものに神宿るというのが、昔からの教えで私たちの深層心理を形作っているように思います。その八百万の神の中から、代表的な7つの神様を配置したのが七福神というわけです。
宝船に乗っている七福神の神様の出自は、インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入りまじって形成された神仏習合からなります。七福神信仰の始まりは室町時代と言われていますから、当時の人の世界観が表れているのでしょう。
仁王経に『七難即滅、七福即生』の言葉があります。これは世の中の七つの大難、太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、干害、盗難が直ちに消滅し、七つの福が生まれるとの意味です。この七つの福をお願いするのが、七福神信仰につながっているのです。
伊勢の津七福神
津市内、由緒ある七つの神社仏閣を巡拝していただく中で、『歴史ある津の町を多くの方々に知ってほしい』という願いを込めて「伊勢の津七福神」が開創されました。(平成24年12月2日開創法会)
津観音寺(恵日山観音寺)は第一番札所(毘沙門天霊場)です。
「伊勢の津七福神」については下記リンク先もご覧下さい。
『伊勢の津 七福神』(外部サイト)
四天王最強の毘沙門天
〜七難を避け、七福を与える北方守護の神仏である毘沙門天〜
1. 北方守護の神
毘沙門天のルーツは、インドの前期ヴェーダ時代(紀元前1500〜紀元前1000頃)からの古い神で、北の方角を守る神ヴァイシュラヴァナで、これが毘沙門天と訳されており、多聞天とも呼ばれる四天王最強の神です。また吉祥天は毘沙門天の妻です。
2. 武道の神
毘沙門天の勇壮な姿は憤怒の相に唐の武人装束をまとい、左手に宝塔、右手に金剛棒(あるいは三叉戟:先が三つになった槍)を持ち、二体の邪鬼を踏みつけている姿で、9世紀ごろには、中国で武道の神として崇拝されていたようです。日本では戦いの神として信仰を集め、南北時代の武将楠木正成は、自らを毘沙門天の申し子とし、幼名を多聞天にちなんで多聞丸と称しました。また、上杉謙信も自分のことを毘沙門天の生まれ変わりだと信じ、丸に毘の字をかたどった戦旗を使用していました。
3. 福の神
毘沙門天の「びしゃもん」は、サンスクリット語で「あまねく聞く・多聞」という意味で、もともとヒンドゥー教の倶毘羅(クーベラ)という財宝を守る神とされています。
この財宝・福徳をつかさどる神クベーラと毘沙門天が同一視され、室町時代にはすでに福神として信仰を集めていました。